どんが亡くなって1か月がたちました。空のケージ、どんが使っていた食器やトイレスコップを見ると何ともさみしい気持ちになりました。
猫小屋に入るともういないと分かっていても、視線がどんのケージに向いてしまいます。
そのケージも今ではノラクボが入っています。まさかこんなに早くどんのケージを再度使うことになるなんて思ってもいませんでしたが。
どんは料理屋さんの裏にいました
どんは私たちが保護した猫ではありません。4年前保護活動をしている人から連絡があり、「料理屋さんの裏に茶トラが住み着いているんだけれど人馴れしている。足もケガしてるし去勢をして元の場所に戻すのが忍びない」というような内容だった気がします。
そういわれると・・・何とかスペースを作ってうちでよければ預かりましょうということで「どん」は我が家にやってきました。
どんという名前の由来は鹿児島銘菓の「かすたどん」からです。何となく初めて見たときに薄い茶色かなと思ったんです。今思えば普通の茶トラでしたが・・・。
「かすたどん」って名前はあんまりだよね、ということで「どん」になりました。
病院で検査の結果、白血病陽性
すぐに病院に行き、足の治療と血液検査を行いました。
足の傷はちょっと盛り上がっていたんですよね。その時もしかすると腫瘍かもしれないと言われドキッとしましたが、少しずつ良くなっていったので傷が化膿していたのだと思います。
猫エイズ・猫白血病の検査もその場で行いました。問題なければ他の子がいる猫小屋に連れて行く予定だったのですが、まさかの「白血病プラス」。絶望しました。
ナタリーの苦い思い出
ちょうどその年の一年前だったか、白血病の子を安楽死したんです。ナタリーという子でしたが、この子も白血病陽性でした。丸々と肥えていたんですが、発症する少し前から食欲が徐々に落ち始め、ガリガリになっていきました。
そして発症してからは肺に水がたまったのでしょう。入院させたときは酸素ボックスに入れてもらいその時は調子がよかったです。しかし数日の入院で酸素1本を使い切り、ずっと入院させるわけにもいかないので連れて帰りました。
連れて帰った途端当然ですが苦しがるんですよね・・・。体温はとても低くなり、息が出来ないので座ったまま口を開けてハッハッハッと口呼吸をしていました。目もギラギラと光っており眠ることなんて到底できない状況でした。
まだその頃は酸素ボックスをレンタルできる会社がなかったので、本当にかわいそうでした。このままの状態にしておくことはナタリーにとって地獄だと判断し決断したのでした。
という、このような経験をしたあとでのどんの白血病プラスだったので、またあの地獄を味合わないといけないかもしれないと暗い気持ちになりました。
一度は瀕死の重傷から復活、白血病キャリアにしては長生きした方だと思う
どんは白血病キャリアと思えないほど元気でした。年中ゴハンゴハンゴハン!!と催促し、しかしガッツクと吐くので水でふやかしてあげたり、少しずつあげたり色々工夫しました。
先日の記事に書いたマンソンにも寄生していたんですよね。この子は結構大柄なので注射の量も多かった。白血病キャリアだから薬の副作用なんかも怖くて駆除できるまではハラハラでした。
一時は本当に調子が良く白血病治ったんじゃない?と思い再検査をしたことがありましたが、結果は青々と白血病プラスに印がつきました・・・。色の付き方で元気そうに見えても病気は進行しているかもしれないと思いました。
一度体調を崩すと治りが悪く、この時にやっぱり白血病キャリアなんだなと再認識します。
3年たったころから少しずつ体調を崩すことが増えてきました。決定的だったのが一昨年10月に死にかけたことです。
この時も呼吸が苦しそうだったので酸素ボックスをレンタルしました。
調子は悪そうながらも呼吸は落ち着き、通院の甲斐あって1か月後に復活した時は本当にうれしかったです。あの時の全身で喜びを表すどんは忘れることができません。
どんはインターフェロンがよく効いたので、飲むインターフェロンと言われる「インターナチュラル」というサプリを飲み始めることになりました。
それから1年調子は何とか落ち着いていたのですが1月27日に永眠しました。
白血病キャリアで我が家に来て4年も生きてくれたから長生きした方だと思います。今は天国でゆっくりしていてくれると嬉しいです。