ヤマですが、昨日の朝8時半から9時の間に亡くなりました。
なぜ微妙な時間なのかというと、休日診療に行って帰ってきたらもう亡くなっていたからです。
祖母宅に泊まり込んで定期的に様子を見ていたのに看取れなかった、たった30分ちょっとの間に逝ってしまったとガッカリしました。でもヤマは死ぬ姿を見せたくなかったのかなとも思います。
2月11日(金曜日)
飲まず食わずの状態だったので、早いと次の日には容体が変わって亡くなってしまうのではないかと思っていました。何とか頑張って3連休が始まったわけですが、状態は日々悪くなるばかりです。
いつもグッタリと寝ていましたが体をさすってあげると、顔をあげて鳴き尻尾をパタパタとしてくれました。
金・土は楽器の練習をしながらずっと様子を見ていました。顔だけ見るともう意識はなさそうにグッタリしているんですけど、いきなりフッと起き上がって移動したりトイレをするんです。もう水も飲めないのにトイレは何回もしました。
夜自宅へ帰る前は「また明日来るね、おやすみ」と声をかけて帰っていました。次の日祖母宅へ行くのがドキドキでした。ゆっくりと息しているのをみるとホッとしました。
2月12日(土曜日)
ただ最後の時間は刻々と迫っていました。体温が低くなってきて黄疸が出てきました。
鼻や耳、口がうっすら黄色くなってきたんです。
それでも時々起き上がります。そして何回か水入れの前に行きました。口が痛くてもう飲めないけれどやっぱり水飲みたかったようです。かわいそうに。ティッシュを濡らして口元へ持っていったら痛がって大変でした・・・。ごめんね。
そして17時吐きました。胃液を吐くのかと思ったらまさかの吐血でした。
もうびっくりして日は越せないかもしれないと覚悟しました。吐血した後はぐったりして動けなくなってしまいました。
それで祖母宅へ泊まることにしたんです。夕飯を自宅でパッと食べた後、すぐお風呂に入り戻ってきました。その日は昼からコーヒーを4~5杯飲みカフェインのおかげかあまり眠気が来ませんでした。
グッタリして呼吸も遠くなってきてるのが分かるんですが、呼びかけ体を触るとまだ反応が返ってくるんです。全然意識がなくなりません。辛いだろうなととても可愛そうでした。まだ一緒にいたいけど解放してほしい、微妙な気持ちです。
2月13日(日曜日)
朝が来るまでに3回吐血しました。それでもまだ息はありました。本当に生命力が強い子でした。今思えばエイズ・白血病のダブルキャリアで6年も生きてこれたのはこの生命力のおかげかもしれません。病気がなかったらきっと20歳まで生きれたと思います。
亡くなった時はまた吐血していたので、最後の吐血で亡くなったのかなと思います。
頑張ったね、頑張ったねと何回も声をかけてお別れの準備を始めました。
水を非常に飲みたがっていたのでお水とカリカリを備えています。
亡くなって気分が落ち込みますが、先に逝ったミケミとライオンとお世話をしてくれていたおばあさんに会えるだろうと思います。
ヤマちゃんお疲れさまでした。週末に遺影を準備しようと思います。